若者殺しの構造

先日のエントリ(若者殺しの時代 - jotunの独り言)で堀井憲一郎さんの『若者殺しの時代』という本に触れたわけですけど、私としては「若者が殺されているでは別の要因によってでは?」という印象でした。
んで、組織での扱われ方や親からの扱われ方によるんじゃないかということを書いたわけですけど…


今日は「日本の組織で若者の扱いが軽い」理由についてもう少し突っ込んだとこまで考えてみたいと思います。


理由1.大学で実用的なことを学んでおらず、仕事のノウハウが全くないので、「新人=使えないもの」とみなされる。
学校出たばかりの社員が「使えない」のは当然と思われるかもしれませんが、アメリカのアイヴィーリーグでMBAを取得した場合、新入社員でも秘書付きの個室が与えられるという話があります。
まぁ即戦力というわけではないんでしょうけど、要するに向こうでは、大学で実践的な知識・技術を習得でき、かつ会社の側にもそういうエリート新入社員を生かす体制が備わっていることを意味するわけです。
日本でも「医者」とか「弁護士」とかそういう仕事に直結する資格を持ってると、それほど理不尽な扱いは受けずに済みますけどね。
でもそれ以外の普通の四年生大学を出ている場合、入社時は「何もできない」状態なので、扱いがぞんざいになっているのでしょう。
なのでもう少し大学で教育してやるべきでは?と思うのです。
まぁ危機意識の強い学生はいろいろ資格取ったりしてるみたいですけどね。
ただ「TOEIC730」とか「簿記2級」とか「基本情報処理技術者」くらいじゃ大して評価されないからねぇ…


理由2.社会の構造上転職しにくいので、会社の意向に従うしかない。
これが一番大きな理由でしょうね。
「3年(2年)以内に離職すると、次の採用時に不利になる」とか「転職が多いと不利になる」とか「そもそも新卒以外は募集が少ない」とか。
転職市場も拡大して入るけど、まだまだ未成熟です。(「25歳以下限定」とかってどうよ?)
まぁ少し前まで「終身雇用」なんてアホなことをやっていたくらいなので、仕方ないと言えば仕方ないです。
そんなわけで、「この会社にいても何も学べないし、嫌なことばかりだけど、次の採用時に不利にならないようにあと2年は耐えねば…」みたいな状況になってしまう。
しかもタチの悪いことに、会社の方もそれにつけ込んで都合よく扱おうとする。
会社に入る前は「是非ともうちに!」なんて甘いことを言っておき、実際に入社が決まったらしめたもの。
早期の離職が不利になることは相手(=新入社員)も知っているので、「あっそう、言うこと聞けないんならやめれば?どこも拾ってくれないだろうけどね〜」という具合に脅して、無理難題を押し付けられます。ちょろいもんですねw
それに後でまた触れますが、人材の流動性が低すぎると、「言いたいことが言えなく」なって組織内での意思疎通にも問題を生じます。
「食品偽装」みたいな問題が至るところで起こっていたのも、この流動性の低さと無縁ではありません。派遣社員内部告発してようやく露呈したというケースが多いようですし。


理由3.入社前に十分な情報が得られないので、内部の状況を知らないまま入社することになる。

これも日本で特に顕著な傾向だと思います。
大学生の後輩と面談する社員に緘口令が布かれるとか、入社後の配属先について決定しないまま採用が決まるとか、面接時にいろいろ質問してきた学生は採用しないとか。
十分な情報が得られていないと、当然入ってから「自分が期待していたのと違う」という事態になりますし、そういう状況でモチベーションが下がったり、自分の得意分野を生かせなかったりすれば、「使えない」ということになってしまう。
企業にとってもデメリットが大きい気がするけど、目先のことしか考えてないからなのか何事も隠したがる性質だからなのか、そういう文化を変える気はないようです。
ただ、最近は学生側が自衛策として、「ウェブ上での(内部)情報収集」を行っていますよね。2ちゃんねるなんかで。
もちろん正しい情報が得られるという保証はないのだけど、慣れてくると玉石混交の情報の中から、信用できる情報を探せるようになる。
こういう情報は若者の立場を守る上でかなり有効なんじゃないかと思います。
会社の悪事が筒抜けになって、全く学生が来なくなれば、会社も対応を改めるかもしれんしね。(低い可能性ではあるけども)


理由4.日本の会社にはコンプライアンスがない。

「直接クビ切ると労基法に引っかかるから、辞めさせたい奴をイジメて自分からやめさせよう」なんてことを平気でやる国です。
「元々陰険な国民性なのだ」という結論を出してもいいんですが、どちらかというと「訴えられるリスクが少ないから平然と他人を傷つける」という解釈の方が無難でしょう。
その点、外資系企業の方がコンプライアンス法令遵守)がしっかりしてるわけですが、その理由は「実際に訴えられて痛い目を見たことがある」からだと思います。
だから日本でも被害にあったら泣き寝入りせずに法に訴えるべきなんでしょうけど…どうも「裁判を起こす」ということに抵抗があるらしく、今だに会社などが訴えられるケースはそう多くありません。
そんなわけで企業は「別に社員をどう扱おうが勝手じゃん?」という考えを持ち続けています。


理由5.経営陣・管理職が長期的なスパンでものを考えない。

要するに会社のトップが先のことまで考えていれば、「新人はしっかり教育しよう」ということになるけど、目先のことしか考えてないと、「今ある案件を片付けるのが最優先」となり、新人がそれに寄与できなければ「役立たず!」と言われるわけです。
「そんな目先のことしか考えない人間が経営なんてできないだろう」と思われるでしょうが、日本の企業のトップって結構そういう人が多い気がする。
大企業の創業者なんかは長期的なビジョンを持っていたんでしょうけど、どうも後継者にそういう見識を伝えることがなかなかできないみたい。
そこら辺、一流大学でちゃんとした「エリート教育」が行われていれば、多少やりやすくなるのかなと思うけど。


理由6.元々そういう文化。

「そういう」というのは、「年少者は年長者の言うことに無条件に従うべきだ」といったようなことです。
実際そういう部分はあると思うし、これについては仕方ないとしか言えない。
まぁ上で少し触れたように、「言いたいことが言えない」のは組織の流動性の低さに起因している部分もあるので(「ずっと同じ人達と働くのであれば、なるべく機嫌を損ねない方がいい。」という心理。)、もう少し人材が流動的になればいくらかマシになるかもしれないけど。
実は「若者が年寄りに従順」であることは、「年寄り」にとっても不利益なんですけどね。
自分に誤りがあっても、そこを指摘してもらえないし、若者がいいアイディアを持っていてもそれを教えてくれない。
でも若者の側としては「生意気だと思われたら立場が悪くなる」ので、なかなかスタンスを変えられない。
この部分に関しては、「年寄り」の側が「言いたいことはなんでも言えよ!」と言い続けるしかないと思います。
で、若者が的確な発言をした場合にはそれをちゃんと評価する。
そういう地道な歩み寄りでしか伝統的な価値観は崩せないでしょう。


…長くなったけど、こんなトコ?
状況を変えるために若者がやるべきことをまとめると、
・大学でちゃんと勉強する。必要になりそうな資格は取っておく。
・積極的に転職して、転職先で活躍し、転職者の地位を高める(?)…とりあえず転職の頻度が増えれば「転職市場」自体は成熟していくし、仲介業者の質も向上する。(まぁ「転職」自体リスキーではあるんだけど)
2ちゃんねる(あるいは会社口コミサイト)に会社の内部情報を流すw(もちろんばれないようにw たまに「会社の研修先で2ちゃんねるに書き込んだのがバレてクビになった」というおバカさんがいます。)
・あからさまな嫌がらせを受けたら、積極的に裁判を起こす。(その前段階として、しかるべき機関に相談する。)
・「上司に意見はしない方がいい」と決めつけず、聞く耳を持ってそうだったら試しに自分の意見を言ってみる。…もちろん、実際に聞く耳を持っていなかったら潔く撤退。深追いは危険だからねw


社会の側がやるべきこととしては、
・大学の教育水準を上げる。(簡単なことではないけども。)具体的には実践的教育(プレゼン技術、ディスカッション技術などの)をカリキュラムに組み込むとか。「エリート教育」も必要だと思うけど、日本でどうしたらそれが可能になるかは検討中。
・クビを切りやすくすると同時に転職者の採用も促し、雇用の流動性を高める。(これについては異論があると思うけど、私はある程度そうせざるを得ないと思う。「終身雇用」を守ろうとする限り「理不尽な上司に耐える部下」が必ず出てくる。)
・採用する社員に対する情報開示を企業に義務付ける。
労働基準監督署の権限を強めて、理不尽な社員の扱いをやめさせる。(ただし「クビを切る」こと自体は容認する)
・転職者支援。既卒者就業支援。(すでにある程度やってはいるみたいだけど)


…なんか道のりは長そうですなw(てか絶望的?w)
でもそういう対策を一つずつ行っていかない限り、若者が置かれた状況は良くならないし、日本社会(経済)が持ち直す(「再び経済成長し、中国に追いつく」というのはそもそも無理。重要なのは「ヨーロッパ並みの水準を今後も維持する」こと。今の状況だとそれすら困難な気が。)のも不可能だと思います。


ちなみに、近い将来日本はアジア諸国に追いつかれ(追い抜かれ)、仕事もアジアの方々に流れていくと思うのだけど、そういう状況で日本人が食っていくためには、「高度な教育を受けて他国の人間にできない仕事をする」しかないと思います。
でも今の日本に「高度な教育」が受けられるところはありません。
私が考える「高度な教育」とは、「学習意欲のある人間に、付加価値の高い技術を身に付けさせる」ことです。
日本の大学には「実践的な技術を身に付けさせよう」という意識がないわけですけど、「学習意欲のある人間」の大半に知識や技術を習得させられる「丁寧なカリキュラム」もないのです。
…うーん、ちと分かりにくい?


例えば、日本でも大学院まで行くと「研究」をするわけですけど、日本で行われてる「研究指導」は、「とりあえず実験機器の使い方だけ教えるから、あとは自分で考えなよ〜」というテキトーなものです。(もちろん、もう少しマシなところもある。…もっとヒドイところもあるけどw)
日本の大学教授は、職人気取りなのか知らないけど、「自分で考えられないやつはどの道研究者になれない」などと言って、自分の怠慢を合理化します。
でも「教育」というのは「天才を育てる」ものではなく「凡人を育てる」ためのものです。
「天才」は公的な機関が教育しなくても育ちますし、実際日本にもそういう天才がいます。(その多くはスポーツ選手だったり、実業家だったり、高等教育の恩恵をさほど受けていない。)
アメリカの大学は優秀な人材を数多く輩出していますが、彼らのほとんどは「天才」ではありません。
にもかかわらず、教育の恩恵により優れた研究を行ったり、産業界で活躍したりしています。
もちろんそういった人は元々それなりに優秀だったのだろうし、努力も惜しまなかったのでしょう。
でも、決して「10年に一人」というような稀な存在ではないのです。
ところが日本の場合、「優秀」な「努力家」が「国内トップレベルの教育」を受けても、優れた研究者にもなれなければ、辣腕の経営者にもなれません。
「教育」が杜撰だからです。


日本では、学校の勉強だけしてる人間は「ガリ勉」と蔑まれ、適度に遊びながらテストでいい点をとることが「カッコいい」とされています。
まぁ別に遊んでたっていいんですけど…
こういう価値観が定着した理由の一つとして、「学校の勉強は学校でしか役に立たない」というものがあります。
だから学校の勉強だけやってる「ガリ勉」は学校以外では無価値なのです。
では学校の勉強が学校以外でも役に立ったら?
学校で「リーダーシップ」や「事業の起こし方」を学べたら?
「学校の勉強に熱心」な生徒は、いつの間にか人間的にも成長していくのです。


…まぁ長くなったので今日はこの辺でw
とにかく、日本が今後生き残っていこうと思ったら、教育を変えないとヤバイですよ〜
ということだけ主張しておきますw