不合理な人々

「最近の若いやつらはなかなか仕事を覚えないな〜」

「あいつは東大出てるのに、自分じゃ何も判断できない。教科書覚えることしかできないんだな」
……
「女はいちいち指示しなきゃ動けないから使えないんだよな〜」
………


…そんな不満を漏らすくらいなら、マニュアルを作ったらいいんじゃないんですか?


それをしない理由として考えられるのは3つ。
1.面倒くさい
2.「できる」人間にマニュアルは必要ない
3.自分で経験してこそ真の理解が得られる


1が一番の理由だと思いますが、会社(その他組織)の生産性を上げるうえで、「マニュアルの作成」は不可欠の作業だと思います。
比較的簡単な作業まできっちりマニュアルを作っている会社は、やはり生産性が高い。
それをしないのは怠慢だと思いますし、そういう会社は早晩衰えるでしょう。


ろくにマニュアルを読まず、自分で試行錯誤するのが好き、という人がたまにいますよね。
そういう人が会社の上層部に多いと、2のような理由でマニュアルを作らないケースもあるかもしれません。
確かに「自分で解決策を見出せる」というのは、優れた能力だと言えるでしょう。
しかしそれが苦手でも他の能力が高い人間はいますし、マニュアルがないことでそういう人材が潰れるのであれば、会社としては大きな損失となります。
また仮に「自分で解決策を見出せた」としても、相応の時間がかかるわけなので、マニュアルがあった方が作業の迅速化が図れるのは間違いありません。


しかし私が一番問題だと感じるのは3の理由です。
3のような「経験至上主義」と呼べるような風潮が日本にはある気がするのです。
もちろん、どんなに詳細なマニュアルを作っても、実際に経験しないと分からないという部分はあるでしょう。
でもそれが「マニュアルを作らないでいい(作らない方がいい)」理由になるのでしょうか?
マニュアルで分からない部分があるとしても、その部分だけ経験から学べばいいわけで、マニュアルの有用性が失われるわけではありません。
また「経験から学ぶ」ことにも欠点があります。
それは「たまたま経験しなかった」トラブルや状況への対応が学べないことです。
マニュアルに想定される様々な状況を盛り込んでおけば、このような「経験の穴」を埋めることができます。


そもそも3のような「経験至上主義」は、「自分が苦労したのに後輩が楽な思いをするのは気分が悪い」というネガティブな感情に根差している気がします。
皆が自分と同様に苦労するのであれば、自分の味わった苦労は「必然」だとみなせる、みたいな心理でしょうか。
人間は何か嫌な思いをしてある物を手に入れると、その物をやたらと重要視したがるそうですし。
でもそういう負の感情の連鎖を断ち切れない限り、日本の社会システムが合理化されることはないのでしょうね…