ポスドクは本当に使えるのか?

ポスドク(博士号取得者)が就職難だ、という話は聞いたことがあると思います。
その対策として、文科省ポスドクを採用した企業に480万円支払う」という策を出したんですが…それでも採用する企業が少ないという悲惨な結果のようです。
これは何ヶ月か前にニュースになった話題なんですが、今日別の調べ物をしていたらたまたま目に入ったんで、少し自分の考えを書いてみようかと。
さすがに文科省も「ポスドクは使えないけどお金払うから雇って!」というむちゃな要求をしているわけではないでしょう。
彼らの意図は、一度お試しで使ってもらえれば、それなりに使えることが分かって、その後ポスドクの雇用が進むだろうというものだと思います。


でも実際のところ、ポスドクって「使える」んですかね?


もちろん優秀なポスドクは大勢いますし、企業の要求にマッチしていれば(企業が研究を進めたい分野を専門で学んできた、など)就職先に大きく貢献することも考えられます。
ですが正直なところ、理系の大学院の実態を知っている人間としては、「使える」気がしません。


まず大学で行われてる(基礎的な)研究が、企業で行われてる(応用志向の)研究とかけ離れている、という理由がありますし、研究分野に関しても、たまたまその年に企業で募集している分野に、ちょうど同じ分野を学んだポスドクがアプライするケースはそう多くはない、という理由もあります。
また企業の意見として「ポスドクは自分の研究のことしか考えず、コミュニケーション能力が低い」というものがあります。確かにそういうポスドクもいるでしょう。


でも一番の理由は「ポスドクの研究能力が低い」からです。


「仮にも博士号を持っているのだから、それなりの能力を持ってるのでは?」
と思う方がいらっしゃるでしょうが、必ずしもそうではありません。
理系の大学院の場合、大学までのような授業は少なく、教授の下で行う研究がメインになります。
さらに学位(博士号)をとるためには、自分の研究を(英語)論文にまとめて雑誌に投稿し、それを元に博士論文を書く必要があります。
本来、博士号を取るためには高い専門知識と研究能力が求められるはずですが…
実際のところ、あまり質の高くない研究でどうにか論文を通し、それによって学位を取ってしまうケースが多々あります。
教授の側としても指導している学生がなかなか学位をとれないと指導力を問題視されることになるので、知人の編集する雑誌に論文を通してもらったり、副査(学位取得の可否を決める他の教授)に頼み込んで、どうにか博士号をとらせているケースもあるようです。
以上の理由から、「学位を持っていることが研究能力を保証するわけではない」ことがお分かりだと思います。


では、なぜ5年も大学院で研究をしていて、実力が身に付かないのか?


それは日本の大学教授に「学生を育てよう」という意識がないからです。
もしくは学生に研究指導を行うだけの(研究者としての)実力が備わっていない。
もちろん日本にも優秀な大学教授はいますし、学生の指導に熱心な教授もいます。
しかし平均的な能力(指導力)は非常に低いのが実情です。
「日本では大学院生は単なる労働力として使われる」という話を耳にすることがありますが、これはまだマシなケースでしょう。
「労働力として使われる」ということは教授が何かしらの研究計画を持っていて、学生がそれを実際に行っているわけなので、研究の立案能力が身に付くかどうかは疑問ですが、技術は身に付きますし、実際に論文投稿までの流れを一通り体験することで研究の進め方が分かります。
実際には研究計画すら持っていない大学教授が日本には多数存在します。
もしくは何かしら興味のあるテーマがあっても、論文を投稿するだけの実力がない教授が。


「そんな人間が教授になれるわけがない」と思うかもしれませんが、実際はそうでもありません。
確かに、大学で助教になる際には研究業績などで審査されますし、准教授や教授に昇格する際にも通常、一定の論文数が求められます。
しかし、本人に実力がなくとも、上司や同僚に恵まれたなどの理由で、そこそこの数の論文が出る場合もあるのです。
また大学が大型の予算を当てた時や、予期せぬ欠員が出た時などに、人手を確保する目的で業績の少なさに「目をつぶって」教員を雇う場合もあります。
こうした研究能力の低い教授は、決まって学生に「大学院生たるもの研究テーマは自分で決めなさい」などと言います。
これは一見、学生の主体性を尊重しているようにも思えますが、ほとんど研究というものを経験したことがない修士(博士前期)課程の学生がまともな研究計画を立てることはまず不可能ですし、どうにか形になったとしても「質の高い研究」のイメージがつかめないため、研究者として大成する見込みは薄いと思います。
こういう教授の下についた学生は、(能力が不十分だとしても)学位を取れれば儲けもので、中退して全く違う業種に進むか、ひきこもりなどになるケースもあると思われます。
実際に学生の能力を上げるためには、まずは教授なり助教なりが徹底して指導し、十分な実力(知識や技術など)が身についた段階である程度学生自身に研究を立案させる、という方法しかないのと思うのですが。


しかし上記のようなことを平気で言う大学教授が、日本には今だに大勢います。
そしてこうした指導の杜撰さこそが、日本のポスドク、さらには研究者のレベルが低い最大の要因だと思います。
ポスドク倍増計画」などは、こうした大学院の実態を全く考慮しなかった愚策と言えるでしょう。
このような質の低い大学院教育に対して、日本の企業、特に大企業ではそれなりに質の高い教育が行われているのだと思います。
新入社員の教育マニュアルが作成されているでしょうし、実際に成果を出さなければならないという圧力が強いわけですから、部下への指導も徹底されていると思います。(もちろん例外もあるでしょうが。)
ゆえに企業にしてみれば、早い段階から自分のところで教育した社員と比較して、ポスドクは「使えない」でしょうし、採用するメリットもないのです。


こうした事態を改善する策は…なんだろう?
難しいですよね。一朝一夕でどうにかなる問題でないことは明らかですし。
要は大学院教育の質を上げるということなのですが、そのためには大学教授の質も上げる必要があるので、結局「日本の研究レベルを上げる」ということになってしまう。


まずは大学教授の指導内容を多少なりとも監視できるシステムの整備でしょうか。
もちろん大学教授の裁量も認められるべきでしょうが、最低ラインの教育内容を保証する何らかの制度が不可欠だと思います。
…うーん、具体的にコレってのはまだ思いつかないんですけども。


「指導内容」とはちょっと違うんですが、「研究室内での詳細な実験プロトコルの作成」とか「新入生全員に対するシステマティックな実験指導」とか、結構重要だと思うんですけどね〜。アカデミックな世界にずっといた教授はあまりそういうのをやりたがらないけども。


指導内容だけではなく倫理的な面での監視も必要でしょうね。
最近「アカハラ」が問題視されてますが、大学教授は研究室の最高権力者ですし、大学という組織では他の研究室に干渉しないのが暗黙のルールなので、教授がどんな無理を言おうがそこの学生は従うしかないのが実情です。
企業の場合であれば、上司に問題があった場合、さらに上の人間に談判するとか、組合なり(そういったトラブルの)専門部署に相談するという方法があるでしょうが、大学にそういったシステムは(実質的には)ありません。
だから大学教授はやりたい放題できます。
先述のような実質的な「指導放棄」が咎められることはまずないですし、「君にはぜひこの研究をやってもらいたい」などと学生受けのいいことを言って学生を集め、いざ配属が決まったら全く別のことをやらせるという詐欺まがいのことをする教授もいます。これも今の制度では学生は泣き寝入りするしかないでしょう。


「別の研究室に移ればいいのでは?」と思われるかもしれませんが、それが難しい事情がいくつかあります。
例えば会社勤めの場合、転職しても同業他社であれば前の会社で身に付けたノウハウをある程度生かせると思います。
しかし研究の場合、必要な知識や技術が非常に特殊(狭い分野の深い知識・特殊な実験技法など)なので、比較的近い分野の研究室に移っても、ほぼ一から学ばなければなりません。
しかも基本的に日本の大学院生は給料をもらうどころか学費を払う立場にあるので、数年学位取得が遅れると経済的にも厳しくなります。
そんなわけで、「いやいやながら」研究をして、社会に出てしまうポスドクもいるのです。(ああ、長くなってしまった…)


そういえば奈良先端科学技術大学院大学が日本の国立大学の大学院の評価で一番高かったわけですが、奈良先端のように「企業や海外で業績を上げた研究者を積極的に採用する」というのは一つの手かもしれません。
海外で最先端の研究を学んだ研究者が優れているのはもちろんですが、企業の研究者も常に「成果を出す」というストレスに晒されている分、アカデミックな世界しか知らない研究者よりしっかりしてる印象があります。
あと、大学院に入ってくる段階である程度の専門知識がないと厳しいので、もう少し学部教育も充実させる。
やはり進級要件などを厳しくして、学生にもっと真剣に勉強させないとダメでしょう。
ただ少子化で学生自体が減っているので、そのような「厳しい」大学が企業などから評価されて、「ブランド」として確立しないと経営は難しいでしょうが…
秋田の「国際教養大学」なんかがその先駆になってくれることを期待。


そもそも日本の高等教育(学部と院)の欠陥は、企業の社内教育に甘えて「使える」人材を育成しようとしていないことではないでしょうか?
大学側にそういう甘えがあるのに企業に「ポスドク採れ!」などと要求するのはいかがなものかと。
変なプライドは捨てて、「プレゼン技術」でも「コーチング技術」でも何でもいいから、何か役に立つことを教えるべきだと思いますけどね〜


P.S. このエントリでは「ポスドクが使えない」的なことを書きましたが、ポスドクよりも能力の低い大学教授が日本には大勢います。
もちろんそっちの方が大問題で、それを解決しないことには日本の教育レベルは上がるわけがありません。
文部科学省の方はご一考を。