不平等社会日本―さよなら総中流

これも某ブログで紹介されてた本。
日本のエリート、その作られ方 - Chikirinの日記 日本のエリート、その作られ方 - Chikirinの日記
ふーむ、考えさせられる内容ではあるな…

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)

不平等社会日本―さよなら総中流 (中公新書)


筆者が使用しているデータはほとんどすべてが「社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)」という調査で得られたもので、限られたデータから可能な限りいろんな考察をしています。
「このデータからそこまで言えるか?」と突っ込みたくなる部分もちらほらあるけどw


一番筆者が主張したいのは、
「データを見る限り、親の社会的地位(ホワイトカラーで管理職、とか)を子供が「引く継ぐ」(実際に特定の役職を世襲するわけではなくて、同じような社会的地位を得る、という意味)確率は一時期下がり「開放的」な社会になったが、これは高度経済成長によってホワイトカラー管理職の絶対数が増えて他の層から流入しやすくなったからであり、ホワイトカラー管理職の数が頭打ちになった現在は再び「閉鎖的」な社会になっている」
ということみたいです。
高度経済成長期は「努力すれば報われた」けど、今はそうではないと。
うーん、まぁそうなのかもね〜


あと「学歴社会では親の恩恵によるものが自分の努力によるものだと『誤解』されやすい」ということも繰り返し書かれてますね。
自営業の人なんかは、自分の地位(どのくらいの規模の店を持って、どれくらい売り上げがあるか)が親から受け継いだものだという自覚があるけど、サラリーマンとかはあまりそう思っていない。
なぜなら「自分が(入試などで)いい成績をとった結果だから」。
…実際はそれも親が高い金払って塾に行かせたおかげだったりするのだけど。
確かにそういう誤解はありそうですね〜


で、筆者は「与えられたものではなく自分の努力の結果だと思っているから、『ノブレス・オブリージュ(高貴な義務)』みたいな観念も生まれないのだ」と言っているんですが…うーん、その主張はどうなんだろう?
さらに続けて「日本の選抜化システム(受験とか)は高度に一元化されており(≒一回勝負・全員参加で敗者復活がない)、その場合敗者をなだめるためにエリートが『僕はテストが得意なだけ』と選抜の価値自体を否定し、その結果社会に対する責任も感じなくなる」みたいなことが書いてあります…なんじゃそりゃ?


なんかここら辺の筆者の主張は的外れだと思うんだけど、「どこがどう違う」というのを明確に指摘できないんで、とりあえず私なりの「日本のエリートがダメな理由」を書いてみようと思います。


…要は「適正に評価・監査するシステムがないから」なんじゃないの?
人間サボってても怒られないならサボるし、頑張っても報われないなら頑張らない。
組織の末端の人間を評価するシステムはあっても、管理職を評価するシステムが未熟だから「いい加減なエリート」が多いんじゃないでしょうか?
確かに「管理職の評価」ってのは難しいとは思うんですけど、アメリカあたりでは上手くいってる例もあるんじゃないかな…
例えば、大学教員を採用する時に、研究に対する厳正な評価だけでなく教育への取り組みや学生の印象なんかを加味することで、大学教育の質を維持してる部分があるわけですよね。
企業や公的機関でも、部下の意見やチーム全体の生産性によって、管理職の仕事内容を評価するシステムがあるんじゃなかろうか?
…逆に言えばそういうシステムがない限り、「ノブレス・オブリージュ」があろうがなかろうが、エリートは「空虚」なままだと思うんですけどね。


あとこの本では、「日本vs外国」の比較はなされていないんですけど、日本の「戦後の急激な成長」や「(一見)平等な選抜方法」を考慮すると、日本には貧しい家庭で育った「成り上がりエリート」や親世代が頑張った「成り上がりエリートJr.」が多くて、「三代目以降のエリート」が相対的に少ないのかもしれない。
そんな生粋のボンボンが役に立つのか?と思われるかもしれませんが、三代目(以降)が優秀な例って結構あるんじゃないかな?徳川家光みたくw
これは私の解釈(似たような意見をたまに見かけますが)なんですが、「成り上がりエリート」はハングリーだし目的意識も強いけど、視野が狭くて大きな仕事はできない。
「成り上がりエリートJr.(二代目エリート)」は過剰に甘やかされて育つので、視野はある意味広くなるが、いかんせん根性がないw
で、その二代目が「子供を豊かな環境で育てるのはよいが、甘やかし過ぎはよくない」という自覚のもとで、三代目を教育すれば、視野の広さと根性を併せ持った優秀なエリートが育つ可能性がある、と。
「中世ヨーロッパの貴族」は極端な例ですが、今でも欧米のエリートってそういう人が結構多いんじゃないかな?


まぁ一番の理由は「十分な教育を受けてないから」だと思うんですけどね。
大学の教育レベルが低いし、国のトップが「学部卒」ばかりってのもどうよ?
(この本の「エリート」は官僚だけのことを指してるわけじゃないみたいですけども)
もちろん今の段階で「院卒」をたくさん採っても、日本の大学院は学部以上にレベルが低いので逆効果なんですが…「大学・大学院の教育水準を上げる→院卒も含めて多様な人材を採用する」ってのが不可欠だと思います。
あとアメリカのロー・スクールやビジネス・スクールのように、「研究が主体でない大学院」を増やすべきだと思うのです。
理系の大学院ではどうしても研究中心になってしまいますが、それでももう少し教育に力を入れるべきかと。どうせ今の大学院生で「研究者になろう」って人間は少数派なわけだし。
「理系→経営者or官僚(技官ではない)」って流れもあっていい気がする。


最後の方で筆者なりの「ゆきづまった選抜社会を打破する方法」が書かれているんですけど、これはおおむね賛成。
特に「選抜機会の多元化」は不可欠だと思います。
「大学受験の結果(=大学名)で就職先が決まる」ってのはちょっとね…


ちなみに「カリスマ美容師が日本を救う」かどうかは…分かりませんw