物事の順序

中教審の答申が話題になっているようです。
曰く、「5年制の博士課程の2年修了時点で、特定の研究テーマについてまとめる修士論文を原則的に廃止。代わりに幅広い分野についてテストやリポート審査を行う「クォリファイング・イグザム」の導入を求めている」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
グローバル化社会の大学院教育~世界の多様な分野で大学院修了者が活躍するために~答申:文部科学省


ちなみにtwitter上での反応をまとめてみました。
中教審の提言に関して - Togetter


賛否両論あるみたいですが、私は大雑把な方向性としては間違っていないのではないかと思います。
この答申にしろ、中教審の大学院部会でなされる提言はどれも要は「アメリカに倣え」という内容なのですが、優秀な人材を多く輩出し、(分野にもよりますが)研究レベルも突出しているアメリカの大学に倣うというのはある意味理に適っています。


ただ「大雑把な方向性」としては悪くないのですが、答申の内容を数年後から実施して日本の大学院教育が向上するかと言ったら、おそらく向上しないと思います。


上記の「まとめ」を見てもらっても分かるのですが、実は既に答申の内容に近いカリキュラムを実施している大学院は存在しています。
んで、私は知人が何人かそういった教育を受けているので、学生からそのカリキュラムがどのように評価されているか知っているのですが、要約すると「基本的に失敗」


理由はいくつかあります。
まず一つは、せっかくコースワーク(複数の研究室での研修など)を実施しても、博士課程の後半で指導する指導教官が学生の裁量を認めず、また他研究室の技術を生かそうという発想も持っていないため、コースワークで身に付けた知識・技術が生かされない、という問題です。
最近では少しずつ変わってきているのかもしれませんが、基本的に日本の大学の研究室は閉鎖的で、同じ専攻内であっても他研究室との交流は活発でないのが一般的です。(学生同士の個人的な交流はあるとしても)
ゆえにコースワークをこなした学生を、その知識を生かす形で教授が指導することは、かなり難しい。


また、博士課程(5年一貫)の最初の2年でコースワークを実施した場合、知識や技術は身についても、研究自体は進んでないわけです。
残りの3年で急ピッチで研究し、論文を何本か投稿し、博士論文を書くわけですが、学生がこれをこなすためには、指導教官に高い指導力が求められます。
現在の日本の大学院での指導は、研究室によってまちまちです。
教授が明確に方向性を打ち出し、学生はそれに従って研究していれば論文が書ける(それはそれで問題なんだけど)所もありますが、むしろ放任型でなかなか研究が進まないところが多数派でしょう。
こういう研究室では、(仮に博士後期からの学生を受け入れていたとしても)修士から連続での5年間、あるいは卒研からの6年間をフルに研究に費やして、どうにか論文を書くというケースが多いです。
つまり、多くの日本の大学教授に、3年で学生に研究をまとめさせるだけの指導力はない、ということです。


「コースワークとその成果を確認するクォリファイング・イグザムで、自力で研究できるだけの能力が身についていれば3年で十分」ということなのかもしれませんが、そのレベルの能力を大学院の2年間で習得させるのは難しい気がします。
アメリカの大学院である程度それができているのは、学部卒の段階でそれなりの知識と思考力が身についているからではないでしょうか?
(追記:このエントリを読んで下さった方のご指摘で気づきましたが、アメリカの場合、コースワーク後に3年で学位を取得できるケースはそう多くないですね…日本で実施する場合、3年ほどで取得させるなら「どうやって短期間で研究をまとめるか」という問題が生じますし、アメリカ同様に4・5年かけて学位を取らせるのであれば、「その年数に見合うだけの対価が得られるのか」や「30歳前後でもキャリアの選択肢があるのか」といった疑問が出てくると思います)
日本の大学は「入るの難しいが出るのは簡単」ですから、学部卒の段階で基礎的な研究能力が身についているケースは稀だと思います。
大学院の2年間でアメリカの学生と同じ水準まで育てるのであれば、学部の教育内容・卒業要件等も見直す必要があると感じます。


上記の問題(特に後者の問題)を解決するのは容易ではないのですが、博士一貫教育(コースワーク含む)を実施する前に「複数指導教官制」を定着させることで、ある程度新しいシステムへの移行を円滑にできるのではないかと思います。
要はメインの指導教官以外にサブの指導教官もつけるということなのですが、それによってある程度、研究指導の質の担保と、専攻内の協力体制が整うのではないかという発想です。
「複数指導教官制」に関しては、以前エントリを書いているので、そちらも読んでみて下さい。
複数指導教官制 - jotunの独り言
あと以前twitter上でその話題が出たこともあるので、そちらのまとめも。
いかにして大学院教育の質を担保するか?


ちなみに、ページの上段の中教審のまとめにも、すでに実施している先生方の感想が含まれていますね…
おそらく大学によって上手くいってたり、苦戦してたりと成果はまちまちなのでしょうが、概して先生方からは「上手くいっている」、学生からは「上手くいってない」と、逆の感想が聞かれるのが興味深いところw
まぁ導入は一筋縄ではいかないと思うのですが、私は時間(と手間)をかけてでも導入する価値のあるシステムだと考えています。


…「複数指導教官制」を実施した後でなら、中教審が提案したような「コースワーク込みの5年一貫教育」が上手くいく、という保証はないのですが、少なくともそちらを先に実施し、定着させてからでないと、成功の見込みはほとんどないと思っています。
まぁ「複数指導教官制」に関しても、中教審で類似の提言がなされているのですが、どのシステムを優先的に採用すべきかといった視点は中教審の答申からは見えてきません。
これは非常に危険なことだと思います。


おそらく研究に携わっている方でなくても「ポスドク1万人計画」という言葉は聞いたことがあると思います。
ポスドク(博士号を取得した流動的なポストの研究員)を増やし、産業界も含め研究のレベルを上げようという目論見だったのでしょうが、結果的には安定したポストに就ける見込みのない博士を増やすことになりました。
この件に関しても、大雑把な方向性(「ポスドクを増やし、産業界も含め研究のレベルを上げよう」)が完全に間違っていたわけではないと思います。
…というか、基本的に文科省中教審)の方針は「アメリカに倣え」で、アメリカで上手くいった制度を採用しているので、少なくても特定の条件(アメリカ)では成功する制度なわけです。
にも関わらず、失敗したのはなぜか?
それは「日本とアメリカの(社会全般の)違いを考慮していなかった」ことと、「実施する施策の順序を間違えたこと」だと思います。
(ある意味両者は同じことかもしれませんが)


アメリカでポスドク(というか博士取得者)が社会の様々な所で活躍している背景には、大学および大学院での充実した人材育成のシステムと、博士号取得者を活かすことのできる雇用システムがあります。
残念ながらこれら2つの前提条件は、いずれも日本では成立していません。
今回の中教審答申にある「コースワーク込みの5年一貫教育」はそこを補うためのものなのかもしれませんが、ポスドク(というか博士課程入学者)を増やす前に行うべきだったと思いますし、それに加えてアメリカと同様の雇用システムを確立する必要もあります。
アメリカの雇用システム」と一口に言っても、様々な要素があるわけですが、少なくとも「雇用の流動性」は不可欠な要素でしょう。
日本の企業が博士を採用したがらない理由として、「雇ってしまったら解雇しにくいので、会社の色に染まれる(若くて専門的な教育を受けていない)人間が欲しい」というのもあると思いますし。
…まぁすでに実施してしまった政策を批判してもあまり建設的ではないのですが、とりあえず博士課程の定員については再度見直し、少なくとも上記の条件が揃うまでは縮小すべきだと思います。


…こんな具合に、「日本の教育政策は順序(細部)を誤っている」というのが私の印象です。
ではなぜそんな事態になったのか?
そこには、日本の官僚システムの機能不全があると思います。


文科省は、2001年の中央省庁再編に伴い、旧文部省と旧科学技術庁が合併してできたわけですが、大学・大学院教育を担当していたのは旧文部省の高等教育局であり、担当する官僚の多くは事務官(法律、経済等が専門)です。
事務官の多くは文系出身で、また学部卒の方が多い。つまり、大学院内部(特に理系)の状況を知っている方は少ないのだと思います。
最近では技官(理系科目が専門)も高等教育局に配属されるケースもあり、また文系でも大学院出身者(ほとんどは修士だけど)が増えているので、そういう方はある程度大学院の実情が掴めているのかもしれませんが、おそらくまだ少数派でしょう。
つまり、政策立案を行う官僚自身は、日本の大学院の実態について十分な情報を持っていない。


もちろん、彼ら自身もそれは承知しているでしょうし、十分な情報を持たずに政策立案をする危険性も理解していると思います。
ゆえにどうするか?
そういった際には、中央教育審議会のような諮問機関の意見を参考に政策立案を行うのでしょう。
日本学術会議などの意見が影響する場合もあるようですね…
中教審のメンバーの中には、「本当に教育に関して詳しいのか?」と疑問を抱いてしまう方もいますが(http://bit.ly/dE0jDT)、世界各国の教育制度に詳しい学者の方も含まれている。
主にそういう方が中心となって提言を行うのだと思いますが、そういった方が詳しいのはあくまで「制度」についてであって、必ずしも日本の大学(院)の実情を把握しているとは限らない。
また著名な研究者の方も含まれていますが、過去に優れた研究をされた方でも、現場を離れて久しい場合、現在の研究現場がどうなっているか十分理解されていない場合があります。
ゆえに、大局的には(数十年のスパンでは)正しくとも、日本の従来のシステムになかなか適合しない案が出てしまうのだと思います。


…結局のところ私は、大学院の実状に詳しい人間を登用するか、著名な学者だけではなく最前線で教育・研究を行っている研究者、あるいは学生からも積極的に意見を募るべきなのだと思います。
そのためには行政のシステム自体を見直す必要があるのでしょうが…なかなか難しそうですね。
しかしそれを行わない限り、現場の実態に即した政策立案はいつまでたっても不可能でしょう。
…何やら悲観的な結論になってしまいましたが、最後に上記のまとめにも含まれている仙石さんのツイートの引用で締めさせて頂こうと思います。

アメリカ被れな意見に基づく直輸入は「ポスドク1万人計画」の惨禍の二の舞となる可能性大。かかる制度の本質の理解と、国情を勘案したカスタマイズ・再設計が肝要です。

うーむ、私もこういう格調高い文章が書けるようになりたいw



〈参考リンク〉

kaz_atakaさんが日米の大学院教育の違いについて、興味深いエントリを書かれているので、リンクを張らせて頂きます。

アメリカ式の大学院教育」と言われてもピンとこない、という方には下記のエントリが参考になるかと。

専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉 - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

日米の人材育成の考え方の違いに見えるもの - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing

大学院教育で何が出来ると人が育ったと言えるのか - ニューロサイエンスとマーケティングの間 - Between Neuroscience and Marketing


あと、この話題に関していくつか興味深いエントリを発見したのでそのリンクも。

http://htn.to/dPHrzU