ループ&ループ

『博士号を取る時に考えること取った後できること―生命科学を学んだ人の人生設計』という本を読みました。

博士号を取る時に考えること取った後できること―生命科学を学んだ人の人生設計

博士号を取る時に考えること取った後できること―生命科学を学んだ人の人生設計


マッキンゼー出身の著者が博士達の進路について様々な角度から分析を試みているようですが、読み応えがあるのは本の後半に書かれている、様々な博士号取得者のインタビューの部分かと。
研究者として活躍している人だけでなく、翻訳者、コンサル、起業家など、多分野で活動する「博士号取得者」が紹介されています。


個人的に一番印象に残っているのは、アメリカの州立大学で助教になった方の話。
アメリカでの助教の選考は、かなりの時間をかけて慎重に行われるようです。
例えば、面談を1日半から2日かけてマンツーマンで多数の教授と行うとか、学生と食事をともにし、その際に学生側からコミュニケーション力が評価されるとか、そんな感じの選考が行われるようです。(もちろん業績も判断材料になるのでしょうが)


そこら辺、日本とは全然違いますよね。
もちろん、日本でも助教の募集は建前上「公募」という形をとりますが、未だに知り合いの教授からの紹介(紹介されるのは大概その教授の教え子)などによって決まるケースが多いようですし。


…ああそうか、アメリカの大学と日本の大学の差がいつまでたっても縮まらないのはそのせいなんだ!


アメリカの大学〉

厳格かつオープンな審査(業績+人物+学生からの印象)

選抜された能力の高い研究者が学生を指導。テニュアの審査も厳しいため、研究及び学生指導に全力で取り組む。

学生は高水準の教育&研究指導を受けられる。
効率的に必要な知識&技術を身に付けられるだけでなく、「効率のよい指導法とは何か」を学ぶこともできる。

研究能力&指導能力に優れた若手研究者を多数輩出。研究以外の道を選んだ人も、大学で身に付けた知識や思考力を生かし、各界で活躍。

その中の何割かが大学の教員になり、後続の指導に当たる。



エンドレス。


〈日本の大学〉

学生を教育する気が乏しく、研究者としての能力も低い人間のクズ博士号取得者が、コネで大学教員(助教or講師)に。

もののはずみで何本か論文が通ってしまえば准教授になれるので、その後は外部から審査されることもなくポストに居座り続けることができる。
「よっしゃ〜!これからはろくに仕事しないでも給料もらえるぜ!」

運悪く研究室に入ってしまった学生は(それなりに能力があったかもしれないけど)ろくな指導が受けられないまま20代の大半を浪費し社会からドロップアウト

たまにそこそこ優秀かつ独立心に富む学生が自力で怪しげな独創的な研究をし、どうにか論文を書いて学位を取得。

その後アカポスに就くが、学生の指導法が分からず、また研究者としても十分な訓練を受けていないので後続を指導できず…



エンドレス。


…まぁ助教の選考だけ厳しくすればいいというわけではないんでしょうけどね。
しかしそこのところがいい加減ではマズイだろうと。
ちと気になるのは「日本の大学」ループでも一応「学位号取得者」が出ているという点。
どうも日本の教授たちは「放っておいても研究をする学生」が稀だけど存在するので、
「じゃあ放置でいいんじゃね?自分でやった方が力もつくだろうし…」とか考えている節があります。
でもそれは都合のいい解釈であって、実際のところ放任された学生は「どうにか学位を取る」ところまでは行けても、その後世界的に評価の高い研究をしたり、優秀な後続を育てたりすることはできません。
当然っちゃ当然ですよね。マトモな指導を受けていないんだから。
「自分でやったほうが力がつく」というのも日本で好まれる「詭弁」だと思うのだけど、それはまた別の機会に。


他にも日本の大学が上記のような悪循環に陥っている理由はあるので、とりあえず思いついたものから列挙。


その他の悪循環の要因
1.(日本国内での)人材不足
2.大学教授の「研究指導」への関心の低さ
3.近視眼的な大学経営(とりあえず教員の人数足りてればいいや〜。研究の質とか外部から分からないだろうから、授業さえ受け持ってくれればOKですよ〜)
4.近視眼的な教育政策(そもそも「策」と呼べるほどのものはあるのか?)


解決策?
1.慢性的な人材不足は如何ともしがたいが、それでも毎年かなりの数の博士号取得者が出て、さらにそのうちの何割かは海外のラボに留学するので、全く人材がいないわけではない。学科の質を維持するなら最低でも国外留学(しかもそれなりに権威のあるラボの)経験者を採用すべき。
あとは海外から招聘する?海外の日本人を呼び戻せればいいが、外国人を呼んでも日本の学生は英語が話せないので厳しいかも。


2.「週一くらいでゼミ(論文紹介)でもやって、あとはたまに学生の進捗聞けばいいや〜」という程度の「研究指導」が日本では多い気がするが、そういう大学教授には訓告でも出すべきでは?大学院生を雇用しているアメリカの有力研究室ならともかく、学生から学費を徴収して(間接的にだけど)そこから給料もらってる教授がまともな指導をしないのは論外だと思う。
研究者としての能力の低さはどうしようもないけど、実験の方法や機材の使い方をマニュアル化するとか、年度の初めに新入生にレクチャーするとか、それくらいのことはすべきだろう。
投稿する論文の指導もかなり重要だと思うけど、学生に論文を書かせるどころか、学生が自分で書いて教授に見せても、「(読むの面倒だし)これでいいんじゃない?」としか言わない教授もいる。んでその論文がリジェクトされても「残念だったね〜」くらいの反応だったり。
そもそも日本では「学生の自主性を尊重する」とか「主体性のある人材を育てる」とかいう名目で、まともに指導しないことを正当化する教授が多いが、それは詭弁だと思う。世界でトップレベルの研究室は、ほとんど例外なく「管理型」だ。基本的な研究のノウハウが身についてこそ、「主体的な研究活動」が可能になる。
前置きが長くなってしまったけど、日本の大学教授に「まともに」研究指導をさせる方法は、「研究指導に関するガイドラインを作った後に監査を行い、ガイドラインから大きく逸脱している大学教授を(警告した後に)解雇する」か、「あまりに生産性の低い研究室の教授を(警告の後に)解雇する」のどちらかしかないと思う。…後者だと学生に非人道的な労働を強要したりしそうだけどw
今の日本の大学教授を見る限り、「終身雇用権」なんてものはない方がいい。
ちなみに「アカハラ」に関しては一応ガイドラインができたみたい。
http://www.naah.jp/guideline/guideline.html
実効力はなさそうだけど…これが遵守されれば、日本の大学はだいぶマシになると思う。
P.S.後で思いついたんだけど、アメリカやヨーロッパの一部の大学のように、「複数指導教官制」を導入したらどうだろう?主として研究の指導に当たるのは一人の教授だとしても、他の教授も学生の指導に関与することになるから、研究指導のネグレクトは防ぐことができると思う。
あとは…大学教授にマネジメントやコーチングの研修を受けさせるとか?


3.うーん、やっぱり研究の質に関しても外部の機関がきっちり評価して、低いところを行政が指導するとかしないと、大学側は何も手を打たない気が。
学生が研究の質まで分かった上で大学&大学院を選べばいいんだけどねぇ…情報が十分でないし、日本の学生がそこまで考えて行動できるかどうか?
「博士後期課程進学者に占める博士号取得者数」みたいなのを公開したら少しは参考になるかな?(比率が高けりゃいいってもんじゃないけど、低すぎるところは明らかに問題だ)
日本のすべての大学・大学院を客観的に評価するようなウェブサイトがあるといいけど、今のところそういうものはないみたい。今後そういうサイトが構築されることを望む。(研究室ごとの評価もあるとベスト。)
一応参考までに「それっぽい」サイトや本を紹介。
web大学・大学院展http://daigakuten.com/
リクルート進学ナビ:http://shingakunet.com/net/
学問前線2006 「理科系100分野」 大学(学科・専攻)ランキング 生命誕生からユビキタスまで


4.最近「研究の質を評価し予算配分に反映させる」ということをやり始めたようなので、そこら辺は評価できる。しかし「反映させる」といっても大学に分配する予算の0.数%くらいなので、ほとんど意味がない。評価自体それほど的外れではない気がするので、今後に期待。
長期的な政策は…ないんだろうなぁ。一応、専門の調査機関はあるみたいだけど。
http://www.nistep.go.jp/index-j.html
上記の研究所の報告書を読むと、日本の大学の実態を割と詳しく調べている感じだけど、あまり政策に生かされている気はしない。うーん、残念。


…え?「仮にも大学教授になった人物が、そんないい加減な指導をするわけがない」?
うーん、まぁ内部にいないとそこら辺が分からないかもしれませんが…こういう本を読むと少しは日本の大学の実態が分かるかも。

大学教授になる方法 (PHP文庫)

大学教授になる方法 (PHP文庫)


何か思う所のあった方はこちらへどうぞ〜w
https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry28/